番外編 – 日本のディスコのルーツ、ムゲン –

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最後に我が青春のグラフィティを10話で完結しました番外編として日本のディスコのルーツであろうお店、赤坂にあった伝説のディスコ”ムゲン”と”ビブロス”と次回の話に出てくる”アフロレイキ”でこのシリーズは締めさせて頂きます。このムゲンは港区赤坂3-8-17パンジャパンビル B1にあり、高級ナイトクラブ”シーザズパレス”のオーナーから浜野安宏氏にオファーがあり、「大人が遊べる社交場」として当時アメリカ帰りの浜野氏がアメリカで流行っていたサイケデリックをモチーフにして、赤坂のパンジャパンビルのB1にムゲンをオープンさせました。
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サイケデリックとは、マリファナで幻覚をみた世界を表すそうです。
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私はマリファナはやりませんのでムゲンの世界がマリファナの幻覚の世界かは知るしべがありません。ムゲンの入り口は狭く、まるで異空間の扉を開く階段になっていて、壁一面の壁画が幻覚を見ている様なイメージで作られていました。しかし当時のムゲンは文化人や芸能人や政治家、芸術家、経営者、モード関係など幅広くの人に愛されたお店で中でも、三島由紀夫、川端康成やコシノ ジュンコ、故 紀伊国屋の社長などが頻繁に来店されていたそうです。ここも六本木で知り合った田村ななさんに 私はこの店も顔パスだから一緒に行かないか誘われましたが、私も友人とスタジオワンに来ていた手前お断りしてしまいました。それから赤坂のムゲンにはとうとう行きませんでした。ここのムゲンはディスコで有りながら外タレのライブなどが頻繁に行なわれました。演奏は黒人の生バンドがはいり生のライブ感溢れる演奏も話題になりました。また円盤型のDJブースが上から降りてくる大掛かりなモノでした。この演出はのちのトウリアでも使われたました。そして最初にDJにスポットをあてたのもムゲンが最初でした。
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ほどなくして同じビルの1Fと2Fを使ったディスコ”ビブロス”がオープンしました。こちらもムゲンと同じ位に沢山の来場者がありました。このビブロスからドレスコードが始まったそうです。そして色々なムーブメントを作り出しました。ムゲンが凄かったのが、日本では無い特殊なライティングが当時としてはとても画期的で、この照明を考案したのがフランス帰りの弱冠27歳の若き才能の女性、藤本晴美女氏でした。このライティングは、オーバーヘッドプロジェクターと言う映像機でよく小学校の時の映像機です。
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そこにカラーインクを落として油を混ぜてその色の変化を壁一面に投影してさながら、異空間で幻想を見ている錯覚に陥る仕掛けが施されていました。明日はもう人方 東京のディスコシーンに創成期から関わっていた人物 江守藹 (あい )さんのお話です。江守氏は黒人イラストレーターとしてとても有名なかたでのちに六本木のアフロレイキの仕掛け人です。明日は江守氏のお話です。乞うご期待を!
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落ちこぼれ社長奮闘記 吉野でした。

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