【原宿ゴールドラッシュ】ピンクドラゴンの山崎眞行オーナー

山崎氏
1945年住友鉱業が経営していた北海道の炭鉱の街 赤平に産まれる。そこから上京しウエイターや洋品店でのバイト。そして当時は相当凄かった三峰に就職して1ヶ月で退社する。

そこで生涯の相棒となる伴晋作に出会う。伴とロックショップ(日本初のオールディーズ50S)怪人20面相を新宿に開業する。

因みに六本木ケントスは1978年頃で山崎氏の怪人20面相が新宿伊勢丹横にオープンしたのが1968年で原宿のキングコングやシンガポールナイトもオープンは六本木のケントス1号店のよりも以前に営業していた。

1970年代末に1日1億円と言う驚異的な売り上げを記録そこにピンクドラゴンビルを建てる、

のちにティモシー リアリーに絶賛されるロカビリーバンドブラックキャッツをプロデュース和製ジェムス ディーンの様な甘いマスクのボーカル高田誠一氏を輩出する、

ここで話を山崎氏の店舗を古い順に並べてみました。

怪人20面相
キングコング
シンガポールナイト
クリームソーダ
スーパーセックス、ロンドン
ガレッジパラダイス
ランデブー
ピンクドラゴン

と続く。

新宿に有った怪人20面相は若彼氏ころの矢沢永吉が毎晩オト連れて自分の夢を熱く語っていたと聞きました。
1978年位から原宿でもDCブランドがでてくる。

ジュン、ビギン、ニコルなどDCブランドが幅を効かせるがブームの後はほとんど倒産して消滅していましたが山崎氏のピンクドラゴンは1978年頃からピークになり1日で1億円と言う金字塔を作る

山崎氏の商才が在ったのは売り上げが上がってもピンクドラゴン1店舗で他のDCブランドの様に無限大で店舗を拡大せづに1店舗に集中した所は渋谷の裏どうりに会ったセイラーズを彷彿とさせる。

私もピンクドラゴンの山崎氏の様に1店舗を愛情を持って育てていけばあるいは1億円の借金は作らずに済んで小さいビルの一つも持てたかもしれません。( 笑 )

そして山崎氏が凄い所はブラックキャッツを育てそのボーカルの高田誠一氏を発掘した所です。

やはり1流の経営者はちゃんと人材を残すのだと強く思いました。

明日は山崎氏が残したブラックキャッツの高田誠一氏のお話しをかきます。

若干44歳の若さで白血病で亡くなった。

和製ジェムス ディーンの様な甘いマスクの和製ロカビリーバンドブラックキャッツの高田氏のオマージュです。

落ちこぼれ社長奮闘記の吉野でした!!

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