安藤組の異色の人材、安部譲二

安藤組の異色の人材 安部譲二
安部譲二さんを一躍有名にしたのが極道の懲りない面々で一躍時の人になりました。彼の
生い立ちは祖父は造船技術師で、東京帝国大学で夏目漱石と同期。父は日本造船に勤務していてたて母玉枝の次男( 4人兄姉の末っ子 )ここから彼の破天荒人生がはじまる。中学2年の時にポルノ小説を投稿!江戸川乱歩にこの子は病んでると言われ、寺で写経をさせられる。夏祭りの場で複数のテキ屋と争い、出刃庖丁による傷害事件を起こしたことから国外に逃亡、イギリスの寄宿制学校に入学、イタリアからの留学中の女子生徒と裸で戯れていたのを発見されて退寮処分を受ける。そのごカメラマンアシスタントとしてオランダに
渡る、帰国後高校時代に暴力団に入り6つの高校を転々とする。19歳の時に借金の取り立てに行った際に、不良外人のブローカーと争い、初めての銃で撃たれる、その時反撃して相手の拳銃と車を奪い逃走。懲役2年6ヶ月、保護観察付執行猶予5年の有罪判決を受ける。
20歳の時にボクサーになり ブラディー、ナオのリングネームで地下ボクシング活動をして、海外を転々とする。その後世界王者、サンディーサドラーの来日時のスパーリングパートナーも務めた。23歳の時に一念発起し日本航空の客室乗務員になる。勤務態度は真面目な反面感情的になることも多く、横暴な支店長を殴ったり、乗客を投げ飛ばしたり、乗客を殴ってしまったことをきっかけに、前科3犯で執行猶予中であることがバレる。それで暴力団組員であることが露見し、1965年1月に退社、のちに新宿の小金井一家にヘッドハンティングされる。同時にキックボクシングの中継の解説者、ライブハウス経営、プロモーター、レストラン経営、競馬予想屋などの職を転々とした。明日は実業家として青山ロブロイを経営の頃からのお話です。

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