戦後渋谷にいた伝説の愚連隊 安藤昇

e0086294_2037015戦後渋谷にいた伝説のws000031インテリヤクザ安藤組戦後の焼け野原に一人の伝説の男がいた。名前は安藤昇後に渋谷の闇市から腕1本でインテリヤクザを500人以上を束ね東興行を作り、戦後進駐軍や三国人から渋谷の治安を守った。彼らは昔からある博徒やテキ屋では無く形は愚連隊で昔からあるヤクザ組織とは一線を画していた。服装もスーツ姿と頭にはアメリカのギャングの様に帽子をかぶりとてもファッショナブルで若者の憧れでした。

そしてヤクザでは当たり前のエンコ詰めは一切しないスマートな愚連隊でした。そして渋谷界隈で米軍からの商品を仕入れて闇市に降ろしたり用心棒や、博打以外にサンドイッチマンを組織したり、金融業や不動産とカタギの仕事をして近代的な組織形態を取っていました。組みのバッチもアルファベットの頭文字Aの1文字でした。そして安藤昇さんは当時としては高値の花のキャデラックを乗り回し不良少年の憧れの存在でした。そんな不良少年の一人が後の阿部譲治さんでした。まだ阿部少年が15歳位のときからよく組みに出入りして安藤さんから直接男を磨く家業をしてみないかと誘われて阿部少年は末端組員になりました。あの時安藤さんからヤクザに成らないかと言われていたら俺は安藤組には入らなかったと山本晋也さんの取材で話してました。安藤組には猛者が複数いて武道の達人の森田さんやステゴロの喧嘩し花形啓などの猛者が多く存在しました。

そんな安藤組ですがホテルニュージャパンの社長の横井英樹襲撃事件を起こし安藤さんが逃亡生活をしたあげく捕まったあと組長亡き後は大幹部の花形啓氏が組みを守っていましたが敵対組織の人間に殺されて30代の若さで亡くなり安藤組も花形や有力幹部な相次ぐ逮捕により組が弱体化して最後は解散しました。安藤昇さんも出所し東映から安藤組の実力シリーズで銀幕のスターとなり又映画プロデューサーや作家、プロモーターとマルチな才能を発揮しました。私も40代の時に渋谷のスクランブル交差点でボディーガードをつれて白のスーツ姿にトレイドマークの帽子を被り渋谷のスクランブル交差点を渡る姿を拝見しました。

明日は喧嘩師最強のステゴロ花形啓氏のお話です。彼もまたインテリヤクザで実家は旧貴族でした。彼はその面がまえと凶暴な反面お母さんをとっても愛する一面がある人物でした。

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