【政界の暴れん坊】浜田幸一、波乱万丈の人生

浜田幸一といえば、あなたは何を思い返しますか?

私は、タレントとして活動しているハマコーを思い出します。

今回は、そんな浜田幸一について、書いてみたいと思います。

浜田幸一を振り返る

彼の出生地は、千葉県君津郡青堀町。母が大好きな子供でした。日本大学農獣医学拓殖学科に進学するも、学生時代から暴れん坊の名を欲しいままにしていました。(いいか悪いかは別として…)

そんな彼の学生時代は、愚連隊としの活動が大きなインパクトでしょう。時には警察のお世話にもなったそうで、母に泣かれて改心、その後は青年団に入ったそうです。

青年団では、持ち前の明るさと親分肌の性格でリーダーシップを取っていき、近所に住んでいた気立ての良い保母さんをしている女性と結婚。それから政治に興味が湧き、自身も政治家の道を志ざすようになりました。

政治家、浜田幸一

【政界の暴れん坊】浜田幸一、波乱万丈の人生

政治家を志した浜田幸一ですが、当時は選挙資金も乏しく、ポスターろくに作れなかったそうです。仕方なく、新聞紙に黒く自筆で「浜田幸一」と書いたポスター代わりの宣伝グッズを自作し、彼自身が貼っていました。

これに関しては、ユーチューブの動画あったので、興味のある方は見て下さいね。
私の記憶では、確か2回の落選を経てめでたく国会議員になりました。ここから数々のハマコー武勇伝が生まれます…。

ハマコーのエピソード

私が記憶に残っているエピソードを振り返ってみます。

こんなことがありました

・自民党のタカ派集団の青嵐会に入りヤジ将軍として国会を騒がせました。

・ラスベガスのカジノでバカラ賭博。一晩で5億という莫大な借金を作りマスコミ、世間を騒がせ議員辞職しました。

・上記の費用は、ロッキード事件の被告である小佐野賢治氏が立て替えました。後にこの事実がマスコミにバレ、世間を賑わせました。

・衆議員予算委員長に就任した際の答弁で数共産党の宮本顕治氏が人殺しをしたと発言。責任をとって予算委員長を辞任しました。

・木更津に全長15km、総工費1兆5000億円の高速道路を作る大型プロジェクトを成功させました。出身地である木更津には、大きな経済効果をもたらしました。
・議員として復活したとき、大平内閣の反対派が椅子やテーブルでバリケードを築いていたところに颯爽と現れました。次々とバリケードを撤去していく姿がテレビ画面に大きく映しだ出され話題に。

メディア人、タレントとして

政界引退後は多くのメディアに出演し、コメンテーターとして活躍しました。たけしのTVタックルレギュラー。自らを日本悪党幹事長と名乗り、主戦場を国会からテレビに移して暴れ回りました。

また、有吉とのこの映像も有名かもしれません。まだ見たことがない人は、見てみてくださいね。

現在は

浜田幸一氏は、2012年8月5日に亡くなりました。満83歳没でした。

彼のエピソードは今でも語り継がれ、多くのファンがいます。私もそのファンの一人です。彼から学んだことも非常に多くありました。

今回は、そんな浜田氏を振り買った記事を書かせていただきました。

[arve url=”https://www.youtube.com/watch?v=-s96uwfvJsU”/]

[arve url=”https://www.youtube.com/watch?v=torFIxmfr0I”/]

[arve url=”https://www.youtube.com/watch?v=h56BBwHbYIY”/]

 

 

 

関連記事

ページ上部へ戻る