ノバ21グループ管野諒社長とマハラジャカリスマ社長成田勝

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今日のお話は、社会現象にもなったドレスコードとお立ち台ギャルといえば、、、
そう、ノバ21グループの”マハラジャ”や”キングandクイーン”ですよね!
決して、英会話スクールのノバではありません(笑)
また学生の時に仕入れた情報ですが、横浜のアルバイト先の名物ラーメン屋、元祖札幌屋のマスターに休憩中、
「最近、六本木のディスコに行っているんですよ。」
と、話した所、六本木にある”最後の20セント”という靴を脱いで上がる絨毯バーを教わりました。
さっそく行ってみると、店内は、赤を基調とした毒々しいお店で、生バンドが入っていました。サパークラブの色合いのある変わったお店、と言う印象が強かった思い出があります。丁度、バリーマルロウのコパカバーナがかかっていて、この曲で踊ったことを覚えています。
ノバ21グループの初期のお店は、”最後の20セント”や”深海魚サハラ”、のちに伝説となった”マハラジャ”に繋がっていきます。これらのテンポを仕切っていた管野諒社長は、異色の経歴の持ち主です。元証券会社の営業マンというエリートでありながら、独立して深海魚などの個性的なお店を数多く作りました。
そして、このグループの最盛期は、やはり麻布十番に出来た”ディスコマハラジャ”でしょう。六本木から歩けば15分以上かかるその場所は当時、「陸の孤島」と、揶揄されていました。
しかし、逆に駅から離れていたことで、車で来る富裕層や麻布のエグゼクティブや芸能人の溜まり場になりました。そして、成田勝というスターを生んだ場所でもあります。彼は、マハラジャの広告塔として、マハラジャを牽引していった人物で、のちに歌手としてもデビューしてます。
詳しくはYouTubeで、”成田勝”か”イントウザナイト”で検索すれば若かれし頃の成田社長が見れます。
また、ノバ21グループの凄かった所は、入店の際のドレスコードが厳しかったこと、そして、従業員教育に力をいれていたことです。その当時の従業員は、服装によって階級分けされ、黒服を頂点としたヒエラルキーとなっていました。前述の成田勝は、その頂点に君臨していました。また、長身で甘いマスクの持ち主でもありました。
それと当時は、フリードリンク・フリーフードが常識でしたが、チケットでドリンクやフードを頼むシステムを導入したのもノバ21グループでした。料理のクオリティが高く、ハニートースト等が人気でした。また、ハニートースト発祥の地でもあります。
その後、ディスコブームによりマハラジャ旋風を引き起こし、北海道から熊本・沖縄まで、一代でマハラジャ帝国を作りあげました。
明日は第3話マハラジャカリスマ社長成田勝社長のお話しを書きます。

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