岡本浩氏 – 日本で初めてボトルキープを考案した男 – 

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第7話、日本で初めてボトルキープを考案した、岡本浩氏のお話です。
私が岡本浩氏を知ったのは、毎週行っていた”スタジオ・ワン”と言うディスコでした。そこで一つ年上の女性で名前が田村ななと言うとても美人で女性がいて、六本木や赤坂などをよく行くフレイガールでした。
その女性から、ここのディスコのオーナーが青年実業家で年齢も30才ソコソコ、ディスコ以外にも手広く事業をしていていて六本木の旧防衛庁の前で炉端焼きの田舎家を経営していると情報を聞いて、ガールフレンドとそのお店行きました。
店内はコの字型で焼き手は2名で正座して焼き上げるスタイルで出来た商品をしゃもじの大きいのに乗せて提供するお店でした。
お店はとても繁盛していて、お客様には外人さんの姿が多かったです。最後にグレープフルーツがでてきました。
食事も1時間位して、これから起こる事件に心臓が凍りつきました。それは、会計の時です。私の記憶だと15000円もしました。30年前の私は23才の鼻垂れ小僧でしたから、財布の中に1万弱しかなく、、、冷や汗と驚きでビックリしていました。すると、そこの店長さんに生きな計らいをして貰って、会計を半額にしてもらい、
「あなたの出世払でいいですよ。」と、言ってくれて、早くこんな社長になりたいと強く思いました。
時が流れて、私も小さいながらも会社をやっていた頃、あの時の話をうちのお袋に話した所、是非行って見たいと言ってくれたので、お袋とその田舎家で食事をしました。お袋も大変喜んでくれた事を思い出します。余談ですが、ここの田舎家は小泉元総理のお気に入りのお店だそうです。
話が大分横道にそれましたので、ここで岡本浩氏のお話に戻ります。岡本浩氏と私はニュースキンビジネスで再開になりました。私も小さい会社を経営していており年商も3億ほど、店舗も合計9店、内訳はレビデオ店5、日サロ4店舗でした。なにか新しい事業を模索している頃、アメリカから凄いビジネスがあると情報をキャッチし、それがネットワークビジネスでニュースキンと言う会社でした。ここは、日本に上陸して初年度100億円を売り上げた凄いビジネスで、私もロッキー青木氏の本でニュースキンの存在は知ってました。
早速友人と新宿のアイランドタワーのニュースキンに行って、デストロビューター登録をしました。タマタマ私のグループのトップが岡本氏でした。まだあの時はブルーダイヤモンドは日本に岡本氏を含む数十人しか存在しておらず、岡本氏のグループは松涛にある岡本浩氏の豪邸でミーティングをしました。ここの豪邸は松涛美術館よりも大きい気がしました。
私もニュースキンでエグゼクテイブのタイトルはとりましたが、万年エクゼクテイブでしたがニュースキンでの活道がのちの日サロのビジネスで開花しました。この話は後ほど記事にします。
話を戻します。岡本浩氏もバブル時代に沢山の負債を抱えていました。数十億円の借金があり、会社も危ない状況であると私の友人から聞きましたが、ニュースキンビジネスでミリオネアになられて見事復活なされたときいています。
やはり一流の社長と私のような3流社長とでは、器の大きさが違う事を強く感じました。私も社長に復活すべく日々精進してまいります。明日は岡本浩氏の後編岡本氏のご婦人の女優の池田ももこさんのお話です。
往年の方はとても懐かしい美人女優でした。明日もお楽しみ!!

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