佐藤としひろ | 話題のディスコを数多く仕掛けた伝説のプロデューサー

トゥーリア
第8話
数多くの話題のディスコを仕掛けた 伝説のプロデューサー、佐藤としひろ氏のお話です。
彼は、美大に行く為に20才で東京に出てきました。六本木のカンタベリーハウス(日新物産の店舗)でアルバイトを始めたのがきっかけでディスコとの出会いが始まり、新宿のディスコ”椿ハウス”でスタッフになりました。
しかし、オープン当時の”椿ハウス”は連日閑古鳥が鳴く有様でした。そこで、新宿2丁目のゲイをターゲットにして、言葉は悪いですか”ゲイディスコ”として営業をした所、これが2丁目のゲイに受けてお店は大繁盛しました。
日本よりゲイに偏見のないニューヨークのディスコシーンでは、ゲイの存在はとても重要で、”パラダイスガレジ”や”セイント”などのディスコは、オシャレでセンスなゲイに支持され繁盛していました。
その後、六本木の会員ディスコ”キャステル東京”、”キワニスキッスレディオ”、これは学生社長のお店として当時は流行りました。そして佐藤氏が一躍有名になったのが、伝説の”トゥーリア”です。あの照明落下事故で3名の死者をだしてしまったお店です。多くの怪我人を出してわずか1年半くらいで閉店となりました。
私もその時渋谷からバスでトウリアに行く途中、あまりの雨でトゥーリアの前を素通りしました。もし入店していたらあの重さ3トンのバリーライトの下敷きになっていた可能性が高かったです。その事故は夜10時位の番組で知ることになりました。
このトゥーリアは、六本木でマハラジャ全盛期の時に、マハラジャのど派手な王朝風の店舗とは対照的に近未来の惑星に不時着したというコンセプトで、ブレイドランナーのデザイナーシド ミードを店舗デザイナー起用しました。  売りは重さ3トンのバリーライトが回転して降りてくる大掛かりな物でした。
そしてその当時から流行し始めた空間プロデューサー、山本コテツ氏を起用しました。コンセプトは3年でお店がピカピカになった所でクローズ。山口百恵式の閉店を目論んで  ギリシャ語の3でトゥーリア。
 ギリシャ語のイチ、ニイ、サンでエナ,ディオ、トウリアと名付け、3年でクローズを目論んでやりましたがその半分であの照明落下事故であえなく閉店になりましたがマハラジャの1ヶ月最高売り上げ8000万を軽くクリアーして何と月商1億を売り上げ、文字道理の金字塔を樹立しました。
この店のファンはとんねるずやジャニーズ、野球界からは今話題の清原選手。相撲界からも多くのファンがいたと聴いています。この後に佐藤氏の集大成が、高騰する都心エリアから湾岸エリアにその拠点を移し何でもない倉庫にとてつもないディスコ”ゴールド”を作り、総工費15億を投入しました。
その後、1991年にジュリアナ東京がオープンしました。お立ち台には過激な女性が余りにも多くなり警察の指導も入りました。そしてお立ち台を撤去したあたりからディスコの衰退に繋がって行きました。
第9話のお話しは、弱冠27歳で会員制ディスコの”キャステル東京”を任された支配人、岡田大弐のお話です。

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