大和実業の岡田一男氏

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第10話

大和実業の岡田一男氏のお話です。
今から35年前、私が23歳から2年間お世話になった会社でした。当時大和実業と言えば、バニーガールのエスカイヤクラブが有名でした。私の地元は横浜で、そのモアーズ9Fに2店舗、旧三越の最上階にエスカイヤクラブがありました。私はそこのザロイヤルでナイトレジャービジネスを学びにました。
この会社の社風は昭和のノスタルジーがあり厳しくも愛情ある社員教育をして頂きました。まず私達営業社員は、15時に出勤して掃除、フロアのスタンバイします。17時営業の15分前に主任の号令の元点呼が始まり、経営理念、スローガンを皆で唱和、握手をしてその日の営業がスタートになりました。
入社したての頃はこの点呼に馴染めなかったが、時の経過と共に社員のモチベーションが上がって気分が高揚する自分がいる事は今ではとてもいい勉強になりました。それが後に自分の会社経営に大きく役立ちました。そして毎月東京地区のPLが見れてナイトレジャーの売り上げ構成比を肌で感じられました。その中で特にラジオシティー(ディスコ)の最終利益が毎月2000万以上あったのには驚きました。私のザロイヤルは利益は月平均250万から350万で、12月は確か私の記憶では500万はいっていたと記憶してます。
この会社の凄いところは、その当時としてはボトルオンラインシステムや全店舗にポスシステムが導入されていたことです。その日の内に全店舗の売り上げが本部のホストコンピュータに毎日送られ、売り上げの日時管理が出来ていた事はすごかったです。また、勤怠をカードリーダーに読み込ませるなども今では当たり前ですが、当時では革命的なシステムをいち早く導入してました。
これまでの水商売の様にどんぶり勘定などなく、とてもドラスティックなまでにビジネス化してました。私のいた2年間で新業態のワインバーグやカフェ焼肉、など幅広く展開して行きました。私が退社して確か7年位して日比谷にラジオシティーを作りました。
世間では銀座にディスコは流行らないと散々揶揄されましたが、大方の予想を裏切って連日の大盛況。会社帰りのヤングサラリーマンやOL、学生でとても賑わっていました。私もここの日比谷ラジオシティーはちょくちょくいきました。
とにかく内装はエジプトのスフィンクスをモチーフにして2フロアーを使い、とても贅沢なディスコでした。丁度バブルのピークと重なり凄い事になっていました。しかし今は大和実業も経営人も変わり社名もダイワエクシードになり会社の規模も私が退社した時の三分の一ほどになってしまいました。
元大和実マンとしては、またあの時の元気ある会社に復活してくれる事を切に望んでおります。この六本木我が青春のグラフィティはいちおう、この10話でおしまいです。
次回は、日本のディスコのルーツ赤坂の伝説のディスコムゲン、ビブロス、のお話です。日本にセンセイショナルを巻き起こし、今のディスコの礎を作った浜野氏のサイコデリックな異空間であの照明を担当した藤本女氏にスポットを当てたいとおもいます。次回のお話もディスコ史に語りづかれた伝説のディスコです。
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